「なんで朝鮮語やらないの?」
長野県松本蟻ヶ崎高等学校 西澤 俊幸
「なんで朝鮮語やるの?」──学生時代に朝鮮語を専攻していた頃、このような問いかけを受けることがしばしばありました。朝鮮語の授業を開講した今も、時折「なぜ朝鮮語を専攻していたのですか?」と尋ねられることがありますが、今思い返してみても、高校3年の進路決定の時に、一体自分が何を考えて大学で朝鮮語を専攻することを思い立ったのか、よくわかりません。今でこそ、その問いかけに対する自分なりの答えは持っているつもりですが、その当時は「ただ何となく」というのが正直な答えではなかったかと思えます。
しかしながら、「なんで朝鮮語やるの?」と聞く人はいても、「なんで英語やるの?」と聞く人がいないのは何故なんだろう、という疑問はその後も心の底に流れていました。それが、今の学校で「ハングル基礎」の授業を開講するエネルギーにつながって来たのだと思います。
松本蟻ヶ崎高校で「ハングル基礎」の授業を開講して3年が過ぎました。教材選びから日々の授業展開まで、手探りの中で進めてきました。3年生の2単位の選択科目という開講形態の中で、何をどのように扱っていけばよいのか、試行錯誤の中で進めているのが現状です。このような状況の中で、昨年の夏、高校で韓国朝鮮語教育に携わる教師たちが会したこと自体が、私にとって意義深いことでした。教科書・教材開発、韓国朝鮮語教育の普及、さまざまな開講形態に応じたガイドライン作り等々、やらなければならない課題の多さを考えると気が遠くなるほどですが、このような組織が産声をあげたことは、まず第一歩を踏み出したことになるわけです。地に足をつけて、できることから一つ一つやっていくほかないのだと考えています。
今年はじめて、授業を選択していた生徒の中から大学で韓国朝鮮語を専攻したいという生徒も出てきました。韓国朝鮮語に触れた生徒の中に、テレビなどでそれまでは見過ごしていたハングル文字に目がいくようになる、聞き流していた韓国朝鮮語に耳をそばだてるようになる、といった変化が確実に見られます。高校在学中にはたとえ芽が出ないとしても、いい種を蒔くことはできて[きて]いるような気がしています。4月からは今年と同じほぼ30名の生徒の参加を得て、4年目の授業がスタートできそうです。
「なんで朝鮮語やらないの?」──そう生徒に呼びかけていきたいです。
志ある人たちとともに
大阪府立阪南高等学校 任喜久子
照括馬室推?
阪南高校で韓国・朝鮮語が選択必修科目として開講し、教え始めてはや6年が過ぎようとしています。その前の非常勤講師の期間も含めた西成高校での10年間を入れると、何と16年も朝鮮語教育に携わっていたことになり、自分でも信じられないくらいです。
[他の]多くの在日二世の方々と同じく、私も思春期の頃は自分のアイデンティティーの模索に苦しみ、結局は外大(大阪外国語大学)の朝鮮語学科に進むという遠回りをしていたのですが、まさかこんなふうに朝鮮語教育に携わるとは夢にも思っていませんでした。
新卒で、たまたま夜間中学や民族学級、高校の朝鮮語授業などを経験することになり、今思い起こせば本当に貴重な体験でした。小学校の民族学級では慣れないオルガンを弾き、粘土で
暗栽識(亀甲船)を作ったり、夜間中学では畏れ多くも一世の 拝袴艦(ハルモニ)と民謡を歌い、高校では朝文研の生徒と 舌壱(チャンゴ)を叩き、見よう見まねで 帖原 煽壱軒(チマ・チョゴリ)を作って、採辰茶(扇舞)を踊ったりと、自分の学生時代には考えられないような民族との豊かな出会いがあり、本当に刺激的な毎日でした。この時期あまりにも多忙で、実を言うと失ったものもあるのですが、得たものは数限りありません。
でも、朝鮮語授業そのものはどうだったでしょうか……日本の中の朝鮮語教育を取り巻く状況やら、学校・生徒の実態等を差し引いても、振り返ると恥ずかしくもあり、情けなくもあります。そんなことを考えていた矢先に昨年の研修会がもたれ、私にとって非常に有意義かつ刺激的な出会いの場となり、また自己を振り返る機会にもなりました。
日本での朝鮮語教育には「語学教育」、「人権教育」「国際理解教育?」「共生教育?」、また在日の子どもたちが在籍するところでは「民族教育」という三つの側面があると思います。遅々とした歩み、少ない人数であっても、志ある人たちとともに前進できればと願っています。
敗臆 馬切(ハムケ ハジャ)
兵庫県立湊川高等学校 方政雄
湊川高校は、全国に先駆けて韓国朝鮮語が必修の正課として開講されて25年を迎えています。今でこそ全国約150校の高校で[その]授業が営まれ、少しは外国語としての市民権を得ようとしていますが、隣国の言葉が日本の公教育の中に入る余地すらなかった当時、言葉を学ぶことを通して隣国を(「在日」も含め)歪みなく正しく理解し、友好を深めようという目標を掲げて設置されたのです。そこに至るまでの努力と英断と先見性が、四半世紀を経て今ようやく実りを結びつつあると私は感じています。
私は在日コリアンの二世です。私が学校に通っていた頃は、今以上に在日に対する偏見や差別がありました。私も例外なく「何でチョーセン人に生まれたんだろう」と自分の出自を恨み、通名を名乗って日本人の面をかぶり、「チョーセン」がバレることに怯え、悶々とした胸の内を誰にも明かすことなく、貝のように身を閉ざして学生時代を過ごしました。
転機は高校二年のとき訪れました。クラス担任が私に、「自分を隠さず本名を名乗り、誇りを持って生きろ」と言い放ったのです。冷や汗が吹き出て、当然のように私は猛反発をします。「何の権利があって、そんなひどい仕打ちをするのか」。しかし、それこそが偽りのない生き方であることを、私は知らないわけではありませんでした。だが、怖くてそれができないのだ。それから心の中で葛藤が始まり、悩みの末に堰を切ったようにクラスの前に自分の出自と本名を名乗ることになるのですが、そこに至るまでにはさらに幾つかのできごとと歳月が必要でした。忌避し続けていた自分の民族を自覚し、向かったとき、失われていた魂を取り戻す営みとして、私は母国語をむさぼるように学び始めていました。私の韓国朝鮮語は、精神的な「元手」が多くかかっています。[それは]私だけではなく、「在日」ならば大なり小なり同じような思いを持っているのではないかと思っています。
昨年の夏、東京での研修会のとき、同じ思いを持ち、日夜奮闘しておられる先生方が一堂に会したことにまず感激し、勇気を得たのは私だけではなかったろうと思います。「日本」「ネイティブ」「在日」と、先生方も各地から来られていて、授業の目的や形態、内容等もバラエティに富み、十数年来同じ教材で新鮮味のない授業をしていた私にとってはよい刺激になり、発想の転換を迫られる研修会でもありました。出会い、情報を交換し、悩みを語りあい、この語学教育を深めあう、そのような交流の大切さを改めて感じました。
隣の国の言葉が当たり前の外国語として使われること──私の教師としての課題でもあると思っています。敗臆 杯獣陥(ハムケ、ハプシダ)。
イムニダ先生
熊本県立菊池農業高等学校 馬場純二
「アンニョンハセヨ イムニダ先生!」窓越しに、くりくり目玉が笑います。イムニダ先生(脊艦陥 識持還)、何とも変なアダ名をもらったものだなと思いながら、その響きに親しんで違和感を感じなくなりつつある私がいます。
本校に「韓国語会話」が導入されたのは97年の4月。教材その他、準備も調わないまま見切り発車でした。韓国全土の農業高校と交流を始めて10年、生徒や親たちのフラストレーションが溜まり始めていたのです。韓国の学生を自宅に受け入れ、寝食を共にし、身振り手振りで心が通じ合うようになったかと思うと別れ、互いに涙をボロボロ流し、抱き合って最後の握手。でも、手のひらの温もりが残るだけに切ないのです。夜、韓国の学生たちのフェリーから電話があると飛びついて喋ろうとするのですが、言葉がスルリと抜け落ちてしまいます。名を呼び合い、「また来いよ。行くよ。ありがと」精一杯思いつく簡単な日本語を伝え、電話は切れます。そして改めて、もうあいつはここにはいないんだ、と実感するのです。「せめてカタコトでも韓国語を喋れたら」「せめてハングルだけでも読むことができたら」──積もり積もった思いが学校に届けられ、1年生全員に1単位の「韓国語会話」が導入されることになりました。
しかし、1年生全員対象となると容易ではありません。韓国に全く興味を示さない子、興味はあるけどハングルになじめなくてという子、さまざまです。だから、我々はcultivateの時間だと思っているのです。「土を耕そう、種を播こう。太陽が射してきたらいつか芽吹くよ。種を播こう」──何と陽気な!ご機嫌な!と思われるかもしれませんが、韓国の人たちの暮らしぶりやエピソードを紹介しながら(本当はこちらがメインなのですが)、少しでも韓国を、韓国の人びとを身近に感じてもらえるならよいと思っているのです。授業も、子どもたちが使えそうなフレーズ、興味を示したフレーズを口で覚えさせる。「イムニダ先生」もその典型です。韓国の学生と会って遊ぶことを大前提にしているのです。
昨秋、韓国から学生を5名招待しました。その時通訳を買って出てくれたのが、「私、韓国語は興味ないですから」と、一昨年ほとんど授業に参加しようとしなかった子です。5日間、辞書と会話集を片手に、つきっきりで遊んでくれました。1年の冬の韓国旅行を契機に、「もう一度向こうの子と話したい」と、勉強を始めたそうです。今では本校一の韓国通です。
種を播きましょう。どんな子にどんな可能性や出会いがあるか分からないのです。「とにかく芽吹くさ」──肩の力を抜いて、今日も子どもたちと楽しみましょう。
神奈川県立岸根高等学校 山下誠
ひょんなことからお隣りの国にかかわるようになって、つくづく思うことがあります。韓国は「驚くほど未知なので驚くほど」であり、「見て触れて聞く韓国の、もっと中の部分を知りたい。メタな韓国に突入したい。その希いは、表面的な交流が繁くなればなるほど、いやましに募」ってくるということです。私をいざなっているのは「メタな韓国」なのでしょうか、それとも……魅惑の世界へのさらなる扉を前にして私は、大好きな父母からもらった贈り物をあける幼子のように、うきうきしてしまうのです。(「 」内、小倉紀蔵著『韓国は一個の哲学である』からの引用)
今を遡ること9年前の春のことです。ある朝目覚めると、私は「韓国語をやることになって」いました。それは、あたかもずっと前からそう決まっていた宿命のようでもあり、また、夜のあいだに神と交わされた契りのようでもありました。自分が、その決定をなんのためらいもなく受け入れていたのは、今思い返してもとてもふしぎなことなのですが、私と韓国語との出会いは、ざっとこんなふうでした。
始まって半月を過ぎてしまっていたラジオ講座には、結局ついていけませんでした。その後も、何度となく挫折しかけました。しかし、そのたびに「こんな面白い言語、こんなに素晴らしいことばを、どうして今まで知らずに年をとってしまったのだろうか」という「無念さ」が、私をひきとめるのでした。選択地理で韓国語講座を始めたのも「私のように隣りの国をまったく知らないで」高校を「出て行く学生の数を、一人でも減らし……私の味わった無念さを、これからの若い人々には経験させたくないと考えてのこと」でした。神の見えざる手に導かれるように、私は自らの非力を省みることも忘れて、ひたすら歩みを重ねてきました。(「 」内、渡辺吉鎔+鈴木孝夫著『朝鮮語のすすめ』からの引用)
これまたつくづく思うのが、人との出会いほど力を授けてくれるものはないということです。自分で選択したとはいうものの、やはりどことなく腰のひけていた生徒たちが、「久しぶりに興味をもてる授業だ」「ニュースにハングルがでてくると、思わずよんでしまう」と、身を乗り出してはしゃいでいます。「韓国人のことをなんとなくさけていたけど、思っていたのと全然ちがってびっくりした」「横浜でチマチョゴリを着てる子が “照括“ って言ってるのをきいてびっくりした。ハングルなんかやってなかったら、きづかずにとおりすぎていたと思う」と、新しい出会いに戸惑いながらも、心躍らせている生徒までいます。「もうきめたことだから……でもなんか……まあ、だめならやめりゃいいさ」と、実のところ、いざ出陣という段になって、ちょっと気弱になっていた私に、可能性を信頼する勇気を与えてくれたのは彼らでした。いつしか、あの「無念さ」は喜びに変わっていきました。未知のものを発見するという、そしてそのたびに新しくなっていく自分自身を見いだすという喜びに。
こんな刺激的な道行きを、再び生徒とともにすることになりました。99年度自由選択の韓国語講座には7名(!)もの生徒が集まり、いよいよ4月には開講です。今の学校にきて3年目、なかなかいいペースです。さあ、それでは、韓国という Treasure Island に出発です!
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濁搾拭 船澗陥.
最近、作者が鎌倉に行ったときの印象を詩文にしたそうです。砂浜につけられた足跡に、遠く鎌倉時代の弁慶の馬蹄を見たように感じたといいます。漢字とハングルの和韓混合文にしたことにも意味があるように話していました。
試みに翻訳してみましたが、詩形式ということもあってなかなか難しく、とくに 帰益空 凭拱 という表現が難問でした。帰益空 の辞書形を 帰益係陥 と解釈し、手元の辞書の記述「高くそびえている、がらんとしている」に基づいて以下のようにしましたが、原意を捉えているかどうか自信はありません。みなさんの感想をお聞かせください。
どこからやってきたのだろう
あのがらんとした(砂浜の)裸木は
足跡にうめられた
鎌倉海岸が
冷雨にぬれている