鳥取県 片山善博知事講演概要
演題:「私が韓国語を学んだ理由」
日時:2004年1月31日(土)13:10〜14:00
場所:三朝町総合文化センター
今回、このような催しが鳥取県三朝町で開かれる事は大変有意義である。
最初に私が韓国語に接したのは1984年である。中央官庁の国家公務員として国土庁にいた時に、土地と税制問題のためにアメリカに出張に行く機会があったが大臣の命で急遽、韓国に出張に行く事になった。韓国に行く事になってみてよく考えると、隣の国でありながら無知であることに気付いた。
外務省北東アジア課に韓国出張のアドバイスを聞きにいったら「言葉を一つでも二つでも覚えていたらいいですよ」というアドバイスを受けた。その時に出張までに時間もあったので独学で簡単な自己紹介程度のハングルを覚えていった。そして韓国に出張に行って人と会う時に挨拶程度で二,三の韓国語を使ったら相手から大変に喜ばれた。
確かに英語を二,三語使ったからといってアメリカ人が驚くという事はないのに、韓国では大変に喜んでくれる。その時に韓国人は良い人であると思った。韓国人は素直に付き合っていい人である。こうやって少しでも言葉を覚えて自分の言葉で会話をしてみることが大事である。そして出張後も韓国の土地、税制事情を調査したことを各所で説明する機会がありさらに韓国の事を勉強する契機にもなった。
韓国語を勉強する事により日本語のことが良くわかるということがある。日本語と韓国語の間では次のような類似性をもつものがある。
@日本語と韓国語は文法が似ている。もちろんこれはモンゴル語・トルコ語・フィンランド語・満州語・ハンガリー語といったウラル・アルタイ語系ではそうである。
AYESの事を韓国語では(네)という 日本語では「はい」であるがある地方では「はい」の事を「ええ」というところがある。またNOの事を韓国語では(아니요)というが日本語では「いいえ」である。ある地方では「いいえ」のことを「うんにゃ」という地方もある。
A(까치)は日本語では「かちがらす」と訳される。
B 行くは(가다)であるが古語では「かる」という。また来るは(오다)であるが日本の祭りで「わっしょいわっしょい」といったり古語で「おわす」というし岐阜地方の表現では「おんさい」ともいう。
C 文法的に(가다)の否定は接頭に否定し(안)を付けて(안 가다)となる。日本語でも古語では「あに」という否定語を接頭につけて「あに、ゆかんや」といった表現をする。
D 「聞く」は(듣다)であるが薬が「効く」のも(약이 듣다)という。
E 「まぶしい」の「ま」は目という意味であるが韓国語は(눈부시다)という。
F 「暑い」に、「蒸し」をつけて「蒸し暑い」というが韓国語でも(덥다)が(무덥다)になる。
※ 北朝鮮での蒸し暑いという言葉にまつわる話。
G 「のっぽ」は背が高い人のことであるが、韓国語では(높다)
H (바보)の(보)は日本語では人を表す。「けちんぼ」、「くいしんぼ」、「どろぼう」
10 (처녀)は若い女性という意味であるが、(숙처녀)という言い方がある。(숙)は日
本語では「すっからかん」のとうに何もないという意を表す。
11 「かかる」(걸다)の用例は日本語と韓国語で似ている。電話、洋服、ブレーキ、病気、気、裁判、麻酔、けんか等
このようにいろいろと分析していくと日本語と韓国語は縁がある言葉であると言える。
実は鳥取弁の中にもこの例は見られる。「院長が東京から来られた」と「会議が三朝町で開
かれた」の「から」と「で」は韓国語では(에서)で表されるが鳥取の方言では両方とも
「から」で表される。⇒会議が三朝町から(標準語で「で」の意)開かれた。
言葉を勉強していくと人、歴史、文化、芸術、価値観等も学んでいくものである。
例えば韓国の歴史上の人物を今、3名挙げて欲しい。(会場に質問するが明確な答えがない)多くの人はアメリカ、フランス、ドイツ、中国等では簡単に3名くらい挙げられるのに韓国の歴史上の人物を挙げることは難しい。(その後、知事が自ら世宗大王、李瞬臣、安重根、朴泳孝の例を挙げながら説明)
言葉は自分で覚えたものを使ってみる事が大事である。また言葉の使用について、日本人は欧米で英語を一生懸命に使って人と接しているときは謙虚であるのに韓国で相手が日本語を使ってくれると急に態度が大きくなるといった優越感を持つというゆがんだ感情を持つ事がある。(その後、日韓友好交流公園、大山の背比べ、高麗山の話等、鳥取県と韓国にまつわる話を紹介)